大阪市にある有限会社 都製作所の技術担当であり、現部長・次期アトツギ社長の金原氏にお話を伺いました。
【企業情報】
会社名 | 有限会社都製作所 |
所在地 | 大阪府大阪市平野区加美北4丁目5-43 |
設立 | 1978年 |
事業内容 | 機械部品加工・金型部品加工・治工具製作 |
機械部品加工、金型部品加工、冶工具工作を主として行っている。
事業について
−主要製品・加工を教えてください。
難加工品等の特殊金属の加工が主な仕事です。
一般の金属加工工場では加工できない案件が、当社に持ち込まれることも多いです。
主として、火力発電所のタービンの部品等を加工しています。設備としては、
旋盤が5台、ボール盤が3台、汎用旋盤が1台あります。
−会社理念について教えてください。
約40年、祖父と父と叔父が支えた会社で、会社理念も考える余裕がないぐらい働いてきました。
今は、『モノづくりの技術を先輩から後輩へ引き継ぎ、寛容な心を持って人を育てる。』という理念を掲げております。
–他社との差別化のポイントを教えてください。
アメリカに本社を置く某企業の2次下請けで、AMS5608という特殊合金を使った加工をしております。
この金属を高精度に切削加工できる技術とノウハウを持つ企業は、世界中探しても非常に少なく、このことが当社の強い独創性と優位性に繋がっているんですよ。
材料費が非常に高く、失敗が許されないため、今でも慎重に加工をしています。
–現在の課題があれば教えてください。
・会社内の整理
・属人的な仕事を減らしていく
・職人技をマニュアル化する
・いらない経費の削減
の4つを重点課題としております。
–将来の展望について教えてください。
現在は家族経営なんですが、そこから脱却することです。
「都」製作所に、『人』・『仕事』・『お金』が集まり、仕事を通して人が成長する企業作りを目指しています。
金原氏の人物像について
–金原氏は、どのくらい業界経験がおありなんですか。
11か月です。マシニングセンタを扱える人が退社したので、親から助けてほしいとお願いされ、東京に住んでいましたが帰阪し現在に至ります。
–初めは金属加工の勉強に苦労されたのでしょうか。
教えてもらったのは1ヶ月ほどで、ほとんど自分で調べて勉強しながらやっています。
ですから、初めはたくさん失敗もありましたよ。
今はマシニングセンタおよびボール盤も使えるようになりました。もうすぐ入社してから1年経つので、これから旋盤も学んでいこうと思っています。
–子供の頃はどのような性格だったのでしょうか。
子供の頃はいつもふざけている子で、負けず嫌いでした。
また、そろばんに通っていて計算は得意でしたね。
社会人になってからは、芸人を目指して上京し、30歳になる頃まで活動しておりました。
劇場の支配人も経験させて頂き、人と関わることが多かったです。
–趣味について教えてください。
ギター、空手、動画編集、FXが趣味です。
ギターについては、別に特別音楽が好きというわけじゃないんですけど、楽器を弾くとなんだか楽しいんですよね。お酒飲んで一人でコード弾いて歌うだけなんですけど、それが好きなんですよ。
上手いとか、ギターのテクニックがあるとかじゃないんですけどね。
河島 英五さんの「酒と泪と男と女」とか、渋い歌が好きです。
あとは、妻と居酒屋巡りも好きですね。
–奥様との居酒屋巡り素敵ですね。お酒はどのようなものを飲まれるんですか?
最初は飲めなかったんですけど、赤ワインとかロゼとかが好きですね。
お酒は結構強いと思います。妻もよく飲みますよ。
–ものづくりへの想いを語っていただけますか。
ものづくりは、人としての成長・変化が問われます。
学びを辞めれば成長が止まり、自分の技術に胡坐をかけば成長が止まる。
変化の激しい時代なので、考え方や心の変化も求められると思います。
時代の変化にも失敗を恐れず果敢にチャレンジしていきたいですね。
チャレンジという意味では、今は5軸加工が気になっています。使いこなせたら仕事も面白くなりそうですし、かっこいいですよね。
–現在の目標を教えてください。
当社が受けている仕事の利益の最大化を図りつつ、新規取引先様を探し、年商1億円にすることです。
新規取引先を探すために、今は自分が飛び込みやアポを取って営業に行ったり、銀行さんのマッチングシステム等を使って取引先を探しています。
–最後に、PRをお願いします。
私は、東京で芸能の世界で活動し、表舞台も裏方もたくさん経験しました。
そこで学んだことは、どんな仕事にも、全て人が関わって楽しい世界が広がっていることです。
製造業に携わり、ものづくりを学んでいますが、人が全て中心です。
まずは、自分の目の前の人を大切にし、その先にお客様、世間の皆様に満足できるものを提供していきたいと考えています。